事業内容:
岐阜県可児市にて2000年に開院。腎臓内科、糖尿病、小児科、呼吸器科などの専門医が所属し、全ての医師が内科疾患に限らずアレルギー疾患、皮膚科領域までプライマリ・ケア医として幅広い領域の診察が可能。高齢者向けリハビリトレーニング施設や保育園も展開し、地元住民の暮らしと健康に欠かせない存在。
— 内科領域を超えた診療、リハビリトレーニング施設や保育園の開設など、事業拡大に至った経緯を教えてください。
クリニックから始まり、地域の方の人生に寄り添う存在として必要なものをつくっていった結果、今の状態に行き着きました。
クリニックの患者さんは高齢の方も多く、徒歩圏であっても、年齢を重ねると自力の通院が困難になります。とはいえ「運動して」と言ってもなかなか難しい。じゃあ高齢者用のトレーニングジムを作ろう、と始めたのがリハビリトレーニング施設です。
一方の保育園は、クリニックで働くスタッフの離職原因の一つが妊娠出産。働きたくても子供を預けられない状況の解決策として開設しました。
経営の多角化は、結果であって目的ではない。地域の“かかりつけ医”であるために何が必要かを考え、派生していった結果です。
— 「すごい会議」の導入を検討された際に、解決したかった課題を教えてください。
開業から20年。病院経営にリハビリ施設、保育園と、僕一人のトップダウンで突っ走ってきた感覚がありました。
ただ、地域医療への貢献を使命と考えると、僕がいなくなった後も、この医院は100年でも生き続ける必要がある。トップダウンに慣れていては、いざという時にスタッフが自分で考えて動けないのでは、と不安を感じたんです。
組織が大きくなり、僕だけでマネジメントする限界も出てきた今だからこそ、リーダーを育て、マネジメント体制を整備し、スタッフが自ら動く自律型組織へとつくり替える必要がありました。
— 「すごい会議」を知ったきっかけを教えてください。
医師の勉強会で、いしがみ整形外科クリニックの石神先生や他の先生から、「すごい会議がいいよ」と聞いたのがきっかけです。
「自分が何もしなくても、スタッフが勝手に進めていくようになる」と聞いて、やる気満々。すぐに導入を決めました。
— 導入して、院長にとって一番うれしかったことは何でしたか。
僕自身に変化が起こったことです。「すごい会議」で刺激を受け、まず自分自身がもっと学ぶ必要があると感じ、実際に少しは変われたように思います。
例えば、事実と解釈を区別して使い分ける話。頭では理解していても、思考として習慣化されていなかった。それはスタッフさんも同じで、問題に対する事実でなく、解釈で会話していたんです。
例えば、今だと「コロナだから〜」と紐付けがちなところを、『本当に「コロナだから〜が起こっている」のか?』と事実を見にいく。さらに『じゃあ、今できることは何か』という思考に至るようになったのは、大きな変化です。
— 他にも「学び」「成長」の場として、印象に残ることを教えてください。
梨木さんに言われたように、自分の限界を超えることがすごく大事ですよね。できないと言ってしまえば、そこまで。思考停止せずに、できることは何かを考える習慣をつけることで、その先へ進める実感があります。
目標設定と達成への技術も学びました。逆算の法則を使い、KGI、KPI、マイルストーンを置く、とか、完了の期日を決めるとか。
明らかにスピードが変わって成果が出ましたし、今も引き続き勉強中です。
— スタッフの方にはどのような変化が起こりましたか。
問題が起きたときの会話や対応が、随分と変わりました。以前は「院長、こんな問題が起こったのですが」で止まっていたのが、今は「だから、こうします」まで出てきます。
問題の事実をリストアップし、期日までに対応策を作成して行動するという一連の動きが習慣化され、問題が起きた当日に対応策が実行されるようになりました。
— スタッフの方に「自主的に考え動いてほしい」という期待と課題に対して、何%解決できましたか。
80%です。解決策を自ら考え、動く思考ができ始めている点が、大きな成長。あとは“問題”自体を見つけることが、今後の伸びしろです。
その点も、患者さんと関わる経験や視点次第で変化すると思うので、育成視点で考えています。
— うれしい成果、うまくいったことの反面として、どのような難しさを感じましたか。
医療という現場と、経営指標としての数字の共存です。数値指標を共通言語に置くと、現場の看護師さんからすれば、仕事を数字に換算されるようで抵抗を感じます。それは、僕も感情として理解できるんです。
ただ、理想の医療を提供するためには、経営指標を決め、目標値と現在地を比較することも必要。大切なのは“数字は手段であって目的ではない”という共有と、経営と現場の分離です。
丁寧な進め方が求められると実感しました。
— 記憶に残る問題解決があれば教えてください。
“コロナ禍の来院数を上げるにはどうしたらいいか”というテーマです。
実際に、コロナ禍も少ないダメージで済んだのは、以前からコロナ禍とは関係なく“再診数を増やす”問題解決に取り組んできた下地があったから。
来院数以外にも、「すごい会議」を導入した時点で様々な指標を置き、その達成を目指すプロジェクトを進めていたことが、全体の底上げにつながりました。
— 来院患者数の増加のために、どのような解決策を実施されたのでしょうか。
どんな業態であっても、リピーターを増やすことは重要な経営戦略です。病院の場合、リピート=“再診”は、患者さんにとって一見よくないことに見えるかもしれませんが、一概にそうとは言えません。
生活習慣病やそれに伴う合併症を防ぐには、定期的なフォローこそが大切。花粉症の免疫療法なども、効き目が切れる前に継続することで効果が出る。フォローアップすれば「未病」の段階で対処できるケースもあり、患者さんのメリットが大きいんです。
具体的なアクションとしては、数ヶ月来院が途切れた人や気になる人をピックアップし、僕が電話をかけます。以前から実施していましたが、会議の「よりシステマチックにできないか」という会話を機に、仕組み化しました。
患者さんに「あなたを気にしている人がいます」と伝えること自体にも、価値があるはずです。
— 梨木コーチの存在は、院長にとってどのような効果を生みましたか。
僕は院長なので、この組織では誰からも意見されません。つまり、裸の王様状態になりかねない。そこで客観的なアドバイスをくれるのが、梨木さんです。
例えば、僕は聞き役が苦手でつい話しすぎてしまうので、「“意識して聞く”ということを心掛けた方がいい」など変わるきっかけをくれます。
「梶さんが今後さらに素晴らしくなるために、どうすればいいか?」という会話の中で、メンバーの意見を引き出すには、梶さんが“意見”するよりも“質問”してはどうかと提案しました。
その結果、約1年間実施した「すごい会議」の後半は、梶さんは“質問”に重きを置いて意思決定する動きに変わられ、メンバーの意見が出やすいチームになったと思います。
— 最後に、これからの挑戦やビジョンについて教えてください。
地域に根ざした“なくてはならない存在”でありたいという思いは、確かな社会貢献につながっていると自負しています。
僕が60歳になるまで約3年。それまでに本院で常時3診療体制、プラス分院を1拠点構えることで、地域貢献の輪を拡張させていきたい。
分院を任せるには、「梶の木」の考えを継承する人材育成が肝です。ここで働けば分院を任せられて独立できる、という実績があれば、志の高い人材が集まり、医師本人やスタッフ、地域の方の幸せにもつながるはずです。
その実現に向けて人材を整備し、プライマリ・ケア医として、地域の医療と暮らしに貢献し続ける未来を実現していきます。
(2021年2月)
— 後日談として、上記の取材から約1年後に追加インタビューを実施しました。
改めて、導入してよかったと実感しています。「すごい会議」は、“曖昧さの中で前進する力”を組織にもたらすと仰っていますよね。
僕らがコロナ対応を迫られる状況になったのは、導入から1年が経った頃。
正解のない曖昧な状況下において、オンライン診療や密を避けた来院環境の整備など、未体験の対応を素早く意思決定し、メンバーと前進できたのは「すごい会議」の基盤があったから、です。
ありがとうございます。具体的に、組織やメンバーの方にどのような変化が起こりましたか。
驚くことに、『問題は金脈だ』という考えがスタッフに浸透しています。
構造としては、僕が意思決定する経営トップチームの会議の下に、リーダーたちの会議を置き、リーダー会議で解決できるものは、彼女らに解決してもらう。解決できないものをトップ会議に上げて問題解決する、という仕組みができています。以前からは考えられません。
素晴らしいですね。特に役に立っている要素は何でしょうか。
以前の会話にもありますが、問題を解釈でなく“事実”で捉えて伝達できるようになったことがまず一つ。
もう一つは、「すごい会議」でプロジェクトマネージャーの役割を担っていた人材の活躍です。プロジェクトを管理し推進できるリーダーがいることで、現場レベルでの問題解決力が格段に上がり、彼女らにstrong>任せられる領域が格段に増えました。
素晴らしいですね。組織目標=共通する“意図”をつくったことで組織にまとまりが生まれ、みなさんが同じ一つの方向を向いている。
今後も、御社の成功をリーダー達に任せていけそうですね! 更なる成長が楽しみです。
— ありがとうございました。
( 取材日:2021年2月/追加2022年6月)
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